歴史
倉田康男が開設した高山建築学校は、建築を学ぶ為の小さな合宿所です。 1972年に始まり、いくたびかの変節を加えながら現在も継続しています。 飛騨高山の隔絶された場所で夏の限られた期間を、課題、講義、セルフビルドに費やします。 設立メンバーは主宰者である建築家ならびに法政大学講師(当時)倉田康男、建築評論家の小能林宏城氏、哲学者の生松敬三氏など。哲学者の木田元氏、英文学者の小野二郎氏、言語学者の丸山圭三郎氏や建築家の大江宏氏、建築史家の藤森照信氏、長谷川堯氏など多数を講師として迎えてきました。そして高山建築学校は、建築史家 鈴木博之氏と建築家 石山修武氏という2人の人物を生み出したことでも特筆されます。 高山建築学校はその活動内容から大きく4つに分かれます。 ・1972-76年までの廃校を求めながらのジプシースクール時代 ・1977-79年にかけての準備期 ・1980-99年までの第3期 ・2000-現在は、新たな方向を模索する第4期にあたる
設立者
倉田康男(1927~2000年) 建築家旧制東京高校、東京大学建築学科/同大学院、 海老原一郎建築事務所を経て、銀座に設計事務所を開設。アメリカやフランスにも現場をもち、法政大学で教鞭を執る。そのエリート中のエリートが建築家という自らの職業と大学での建築教育、そして建築そのものを疑ったところから独自の道を歩むことになる。 「社会の建築は汚れている」という思いは商行為としての設計事務所の運営を停止させ、すべての活動を高山建築学校での教育・校舎設計・セルフビルドと法政大学での教育に限定させた。